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鍼灸界の恩人
- アスレティックトレーナー
- 鍼灸師科
こんにちは 妻木です。
パラリンピックも終わりました。
義足の陸上、車イスラグビーなど、なんでもそうですが、
自分の体の一部とするには、すべて練習が必要です。
鍼は、自分の手の一部にならなければ刺せません。
江戸時代までは、鍼術は、撚鍼といって、細い鍼を
捻じるように皮膚に挿入していました。
これは、かなり難しいのです。
江戸時代に杉山和一という人は、この方法を改良したのです。
鍼灸界の恩人です。
彼は、幼いころ盲目となりました。
そこで、鍼で食っていこうと決めました。
山瀬琢一門下に入るのですが、
ヘタクソで破門されたのです。
目が見えなくては、撚鍼法
そうやすやすとは、会得できません。
察するところ、がっくりしたと思うのです。
「このままでは、いかん」
彼は、江の島の弁天の岩屋に籠って
21日間の断食修行を行いました。
満願の日、石に転んで、足に何か刺さったのです
手に取ると、筒状になった椎の葉に松葉が包まっていた。
「そうだ」
「細い鍼でも、管に入れて刺せば、
盲人の私でも容易に打てる」
その後、京都の入江豊明先生に学び、
江戸で開業したのです
評判が評判を呼び、5代将軍徳川綱吉公の
治療をするまでになりました。
彼がすごいのは、杉山流鍼治導引稽古所を開設し、
盲目の鍼師を多く輩出したことですね。
いつも治療を受ける綱吉公は、粋な殿さまでした
あるとき、「何か欲しいものはないか」 と聞きました。
「苦しゅうない。申してみよ」
和一は、「ただひとつ 目が欲しゅうございます」 と答えました。
「ならば、一つ目を進ぜよう」
墨田区千歳1-8-2 に惣録屋敷の領地を賜りました
そこは、「本所一つ目」 でした。
現在、杉山江島神社になっています。
神社の左隣りに杉山和一記念館が建設されました。
コロナが落ち着いたら、興味のある方は、
訪ねてみてはいかがでしょうか。
入学式でおなじみの両国国技館から南へ15分ほどです。
いずれ、江の島の弁天神社も訪ねたいと考えています。
それでは、また
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